原因なんていらない
七海イルカです。
さてさて、今日は雨。予報では雪だったけど、そこまで気温が下がらなかったので雨です。
世の中、不安定ですね。
といっても、今まで安定していた社会ってあったでしょうか?
ないですよね。
いつも何かしら問題があって、世間を騒がせていたと思います。
そんな世界だとしても、一定数の人たちは、そんな騒ぎなんて知らずに生きているわけです。そんな人たちって、ある意味幸せでいいですよね。無知でなければ。
じゃあ、幸せってなんだ?ってことなんです。
無知な人の幸せっていうのは簡単です。
赤ちゃんのような幸せでいいから。
温かいご飯が食べれて、清潔なお布団で寝れて、好きな時間に起きて、不快なことがあったら泣いて訴えればいい。
情報もなく、周りが見えなければ、人と比べる必要もないので、そのまんまな状態で十分満たされることができます。
でもある程度知識があって、情報も耳に入って、少なからず影響を受けてしまう人の幸せってなんなんでしょう?
衣食住が整っていたとしても、
どこかぽっかり足りていないような・・・
どこかで本当の家族だったり、本当の居場所を探し続けているような・・・
どこかいつも満足できなくて、それを埋めるかのように仕事やお金で満たそうとしていたり・・・
そんな満たされていない感覚を、
自分らしく生きれていないから・・・
自分の本当の使命とは・・・
自分ってこんなんじゃない、もっと何かできるはず・・・
というように、自分を責めるような原因究明に使ってしまったり。
または、他者を、親を、社会を責めるようになってしまったり。
そんなふうに自分の力を違う方向性に使い始めちゃうのかもしれない。
確かに、自分の中を探れば探るほど、原因らしきものは出てくると思う。
でも、そこにはまってしまうこともある。
はまってしまうと、自分を責めるのは簡単だから抜けれなくなる。
自分が悪いんだっていう考え方は、自己憐憫に陥りやすい。ナルシシズムとも言えるのかもしれないけど。
だから思うのだけど、原因究明は大事だけど、それは繰り返さないために大切なだけであって、それは改善するためのただの材料で、そこに再度陥ることはない。
何回も、何回も、そこに戻る必要はないの。
人間の脳は繰り返しが好きだから、そんな脳の仕組みに支配されたらダメ。
思うんだけど、人って体調が悪くなると、あれも悪い、これも悪い、あれが原因じゃないか、これも原因じゃないかって考え出すけど、そうでもないよ。
ある程度の原因がみつかったら、「あ、そっか」と思って手放して、次から気をつければいい程度のこと。
原因が分からなかったら、分からないままでもいいわけ。
「ん〜今は分からないから寝ちゃおう」でいい。
でも、アンテナは張っておく。
そのくらいでいいんじゃないかな。
原因に固執しないこと。
原因はただの改善案として使うくらい。
何事も固執するといい展開はやってこないよね。
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